こちらに来て2ヵ月半、
ブラームスop.116、ハイドンソナタ、ショパンop.28、ドビュッシーエチュード
まだまだ途中なものもありますが、
日本にいた頃では有り得ないペースで、新曲の勉強が進んでいます。
そして2011年を締め括る、最後の新曲は、
プロコフィエフのソナタ第7番。
僕の演奏をよく知っている人ならわかるはずですが、
本当に、僕には向いていない曲なんです(笑)
どうしても2月までに、演奏効果の高い近現代の曲を用意しなくてはならなくて、
あまりのレパートリーの無さに、あーだこーだ先生と話し合っているうちに、
気づけばこれをやることになっていました・・・。
しかも先生には、絶対に間に合わないよーはははって笑われた。
先生が提案したくせに!!!っと、結構悔しかった僕は、
必死にこの曲と向き合い始めたのです。
しかし。
何がいいんだ、この曲・・・。
わからない。
傑作と言われるこの曲、
確かに駄作だなんて微塵も思わない。
でも良さもわからない。(笑)
すっかり困ってしまったので、
感性だけに頼るのをやめ、少しこの曲について知ることにしました。
(※知識の薄い僕の独り言を、お許しください。)
「戦争ソナタ」と言われるだけに、やはりその背景には第二次世界大戦。
社会主義国家を設立するために、旧ソヴィエトは頑張ってたんだな。
なんでも、国の芸術家達に対して、『社会主義リアリズム』ってのを提唱したようで。
その内容というのが、
・現実を、社会主義革命が発展しているという認識の下で、
空想的ではなく現実的に、歴史的具体性をもって描く。
・芸術的描写は、労働者を社会主義精神に添うように
思想的に改造し教育する課題に取り組まなければならない。
つまり、芸術を通して、労働者に対して、
社会主義国家建設の意識改革を目指しているのです。
具体的には、民族音楽の旋律を用いて、大衆的なメロディーを使わせたり、
響きのニュアンスよりも、簡素化に重きを置かせたり。
んーー、確かに簡素化は感じ取れる。ファンタジーとか一切ないもんな。
でも、メロディーは、はたして大衆的か・・・?
大衆的=親しみやすいというイメージがあるからか、どうも腑に落ちない。
2・3楽章は、まだいいんです。
2楽章は、彼特有の抒情性に、うねり、心地悪さが絶妙に相まって、
3楽章は、リズム重視で直線的、緊張感の持続性がコントロールされている。
僕の知っている、プロコフィエフといえば!という感覚に収まります。
1楽章がなー。
もはや労働者の意識改革とかじゃなく、
彼のソヴィエトにおかれた状況と、自身の精神状態、
それを冷静に客観的に描き出している、モノクロな絵画を見ているような感覚になります。
つまり、まだそこに色彩感を見い出せていない・・・。
そんなもの、ないのか?
実は、単に乾いた、圧倒的な音楽なのか?
Youtubeで、色んな演奏を聴きました。
アクティブに攻めた技巧重視的な演奏も、
ストーリーを作って、ドラマ性を持たせた演奏も、
どちらもしっくりこなかった。
熱いけど冷たい、
人間味があるけど機械的な、
何かそういった矛盾の世界に、しっくりくるものがあるはずだ。
出会えるのか、その音楽に・・・。
何も解決しない独り言でした(笑)
ドイツ語の勉強、大変そうですね。 私も大学生のときに、教養課程でドイツ語の勉強をしましたが、とても苦労しました。もともと語学の勉強はあまり好きでなかったのも原因ですが・・・。 ドイツ語が喋れるようになって、ドイツやオーストリアをまた旅行したいです。 ドイツ語の勉強、ピアノの勉強と大変そうですが、頑張ってください。 音楽の勉強のためにウィーンへ留学している学生さん達の生活を拝見させていただいているようで、津島さんのブログは楽しみにしています。
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